昭和47年 寿浅弘幸事業継承
昭和47年7月、住み慣れた札幌から、長男雅俊11歳、次男章洋7歳、長女貴子1歳の3人の子供を伴い、弘幸と佐智子が事業継承することになりました。当時の伊達市は、市政が施行されたばかりです。仙台亘理藩が開拓した武士の街であり、ある意味閉鎖的な街でした。
昭和47年当時の店舗と住居は、写真の店舗そのままであり、年季の入った建物でした。
昭和52年の地図
寿浅商店の所在地(現住所)は、借地でした。事業を継承した弘幸は、建物が建っている土地の買収から始めなくてはなりませんでした。
昭和48年頃の弘幸
当時の年間売上高は、4,000万円程度の個人商店での営業活動は大変だったはずです。それでも近隣にある洞爺湖温泉街へ販路を拡大していき、なんと2年後には年商2億円を突破しました。