大正初期
天塩川は重要な交通路であり、天塩川で取れる魚介類は貴重な食料だったそうです。畑作にもこの肥沃な土地なしには語ることが出来ない存在です。その一方で、天塩川は水害をもたらす河川でもありました。 春の雪とけから大雨の季節は、毎年と言っていいほど水害をもたらし、農作物は言うに及ばず人命が犠牲になったこともあったそうです。そこで大規模な河川切り替え工事が行われ、橋を架けるべく幾度となく工事が行われることになりったそうです。
大正時代の天塩川の渡し舟。

1925年(大正14年)11月5日に開催された、初代佐久橋の渡橋式の模様です。村を挙げての式典だったことが容易に想像できます。この橋の上に創業者夫妻がいたとしても不思議ではありません。

天塩川に架かる佐久橋。昭和に入ってから撮影された写真です。

河川改修工事と橋の架橋工事の一覧表です。